『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」(略称まおゆう)』の一次感想と、同作品を巡る議論に見るTwitterの現状を「そもそも」から、もそもそと。1

 
遅ればせながら、本ッ当に遅ればせながら、この作品の読後感想文を書いてみたいと思う。
とはいえ、サクッと書ける時期を逸してしまったので、
これが本質的な一次感想かと言われると、ちょっと違うねと言わざるを得ない。
 

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト

 
 
云々かんぬん述べる前に、ある詩の一部分を引用しておきたい。
 
 
 

とても好きなものは
詩にできない
そのものが言葉よりも近いから
そういう時は詩なんかいらない
詩にできるのは
あるときとても好きだったもの
あるとき
というところが肝心
あるじてんでいしきからとおくへほうりなげられ
そんなものはもうどうなったってかまわないと思う
その「どうなったって」が詩になる

(『初心者のための詩の書き方』より。引用元:ポエムコンシェルジュの選んだ一篇

 
 
つまるところ、「言葉にならない」というのが読み終えた当初の感想だった。
名作に出会うとそういうことが起こる。自分の語彙や知識や教養では、とても表現し切れないと確信させるほどの質量のデカい感動を食らわせられる、交通事故のような体験だ。
それでも当時の自分は、そんな思いをこんな風に言葉に残している。
 
 

いくつかの作品に出会ったことがある。
それらは「おとぎばなし」を越えてこちらの現実にまで物語の手を伸ばしてきた。
まおゆうはそこに加わった新たな一篇。愛と勇気、あるいは希望。
そんな名前の付く書棚に収まった新たな一冊。
11:49 AM May 14th TweetDeckから

 
当初、自分は『まおゆう』の感想文をことのほか素直にサクッと書けてしまうつもりでいた。
それが今ではまったくそうではないのは、読了後即座にTwitterの#maoyuタグの議論に参加したおかげで、
感動をスナップする暇もなく様々な発見と考察を重ねてしまったせいで自分の“『まおゆう』観”が多分にねじくれてしまったからで、
それ故、本稿はじっくりと基礎に立ち返ることをテーマとして進めていきたいと思う。
キーワードは、“そもそも”。
 
 
そもそも何故自分は『まおゆう』を語りたがるのか。
 
ひどく個人的な理由になる。
結論を先に述べるなら、#maoyuタグが現在自分の自己承認欲求を満たしてくれる唯一の場所だから、である。
 

Togetter - まとめ「「まおゆう」って何が面白いの?」

 
上の記事は『まおゆう』に興味を持つことができなかった、しかし大変謙虚でリスペクトに溢れた方による、
非常に精細かつ正鵠を射た作品概要なのだが、
 
 

1)ハヤリの経済学に興味があって
2)ノベルゲーム文体を読み解く素養があって
3)萌えキャラ好き

 
 
その中で挙げられたこの三点がものの見事に自分の属性を言い当てている。
自分のクリティカルな属性に関する話題を不特定多数と共有できるという喜び、そして悦びが、
自分を“『まおゆう』語り”中毒にしているのだ。
それは自分と『まおゆう』という作品との邂逅から繋がった、喜ばしい大いなる“出会い”だった。
 
しかし、名作が名作たる由縁は、こうして現実に起こった現象でさえも物語の一部として組み込まれている点にある。
そう、まさしく、『まおゆう』は出会った者に出会いをもたらす作品なのだ。
 
 
そもそも『まおゆう』とはどこから生まれた何なのか。
 
そんな『まおゆう』だが、現在この作品に関する議論の核となっている#maoyuタグは、混沌を極めている。
 
経済学の観点から見ると云々という話に始まり、
植民地思想が、左翼がファシストがという話から果ては朝鮮半島(!?)がどうたらなんて話も飛び出し、合間合間に読了報告とかおっぱいとか性感帯としての角とかが挟まっているという、
一般的なリア充なら脱兎の勢いで逃げ出しそうな魔窟と化しているのだが、
このような状況に至るにはきちんとした経緯がある。とりあえずは、以下のような感じ。
 
 

  1. 『まおゆう』そのものがVIP発祥の一発ネタだった
  2. #maoyuタグは、そもそも『まおゆう』に目をつけた桝田省治氏書籍化のための議論を目的として作ったものだった
  3. しかし、Twitterの仕様であるリツイートによって#maoyuタグ及びその近辺のクラスタの情報が流出


完全にオープン+更新速度が異常に速いというTwitterの特徴により、
作品そのものの認知より先に#maoyuタグの内容が流布してしまった

メディアリテラシーの高い層の中から賞賛だけが可視化された状態に対して疑問を持つ人間が続出し、単純な反発を招いた

揚げ足取りを目的とした議論が思想闘争に摩り替わってしまった

 
 
と、いうことなのだ。
順を追って補足すると、
まず、『まおゆう』が生まれたニュー速VIPという2ちゃんねる内の板を見て欲しい。
 
 
うん。そう、ゴミである。
まごうことなきゴミ山である。
 
一億スレッド総出オチ化というやつで、ここを定期的に参照してる奴とか、正直勢い以外は頭にないのである。ましてスレッドを立てる奴とか、いかに衝撃的なつかみを持ってくるかしか考えてないのである。
なにしろ毎秒新しい出オチスレッドが立つ激流の最中なので、つまらんスレッドはレスがつかず、レスがつかないスレッドは最新一覧に残れず、一瞬で下流に流されて消えていく。
いかにつかみ、そして伸ばすか。まるでどこぞの少年漫画雑誌のようなことを無償でクソ真面目にやっているこういうゴミ山に、『まおゆう』は生を受けた。
これから『まおゆう』を解釈する方は是非この事実をまず押さえて頂きたいと思う。
 
さて、こうした文脈を踏まえた上で最初の1スレ目を読んでみると、
『まおゆう』がドラゴンクエストの最終決戦で出てくる定番のシーンをスタートラインにしたどんでん返しから始まっている理由も理解できるのではないだろうか。
 
 

勇者「は? 悪はお前だけだ」
魔王「人間が魔族を殺していないとでも?
 魔族は悪で人間が善だって誰が決めたんだ?」

勇者「……っ」

魔王「そこで『俺が法だ!』とか『俺が神だっ!』とか
 『俺がガンダムだっ!』とか云えたら、お前も
 もうちょっと生きるのが楽なのになぁ……」

勇者「うるさいっ!!」

魔王「勇者は好きだから、この話はやめてやる」
勇者「好きとか云うな」

魔王「この資料を見ろ」
勇者「なんだ、これ……羊皮紙じゃないのか?
 薄くて白くてつるつるだ……」
魔王「プリンタ用紙だ。それはどうでもいい。書いてある
 ことが重要なんだ」

勇者「……えっと、需要爆発……雇用? 曲線?
 消費動向……経済依存率?」

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」1より)

 
 
ファンタジー全開の世界の中に突如として現れる数々の経済用語。
ファンタジーの面の皮をリアリズムで引っぺがすというこの力技は、要するにただのつかみである。
ぶっちゃけ「おっ」と思わせれば別になんでもいいのである。
著者橙乃ままれ氏にとって、それが一番できそうだったのが経済だったからそうしただけなのだ。
 
まずは読者を転ばせる。
『まおゆう』はそんな単純なところから始まった大河だ。
 
 
次に、#maoyuタグの話。
大盛況のうちに幕を閉じ、まとめサイトとして独立コンテンツ化した『まおゆう』は、
俺の屍を越えてゆけ』などで有名なゲームデザイナー、桝田省治氏の目に留まった。
 

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド著 - Alfa・MARS PROJECT

 
『まおゆう』という作品にビジネスの可能性を見た彼は書籍化プロジェクトを立ち上げ、
Twitter上で#maoyuというタグを作り、これを「彼の机」即ち商品化のための議論の場として利用することにした。
 
ここで重要なのは、「自分がクソだと思ったものを売りたがる商人などいない」という当たり前のことだ。
商品化とは、まず対象となる物の賞賛から始まって、“それのどこが『良い』のか(どこが売りなのか)”を詰めていく作業に他ならない。
評論だとかなんだとかいう視点から見れば、極上の賞賛と言えるだろう。
 
しかし、Twitterという限りなくオープンなフィールドでものすごく一般的な名詞をタグの名前に選んでしまったこと、
これが失敗だったと俺は思う。
 
Twitterでは、あらゆる情報がサクッとリツイートによって超高速で広がっていく。
結果として、本来クローズドな話題である「商品化のための分析」が、「『まおゆう』を読んだ人たちの感想」として、Twitterユーザのもとに広く流出していってしまった。
それが、後の混迷を招く原因となったことについては、残念ながら疑う余地がない。*1
 
 
……と、ここまででひと段落(時間切れ)。
感想文といって始めた割に、感想が全く書けていないのがアレだけど、
そう簡単に感想に至れないのがまたこの作品のすごいところとして、とりあえず本エントリを締めたいと思う。
 
次回はちゃんと内容に触れるつもりだが、まあまずは作品の規模を知ってほしくて、取り急ぎ投稿する次第。

*1:ちなみに桝田氏は割と早い段階でこのタグの限界に気付き、「机」をmixiコミュニティに移している。