『笑えよ』工藤水生(2012)メディアファクトリー


 Amazon.co.jp: 笑えよ (ダ・ヴィンチブックス): 工藤水生, 渡辺ペコ: 本

 第6回ダ・ヴィンチ文学賞大賞の青春小説。
 ゲイの少年と、あるトラウマによってAセクシュアル(無性愛)状態になった少年と、
 恋という感情そのものに触れたことすらない少女が、受験をゆるやかなきっかけにして互いに一方通行の好意を含んだ友人関係を築いていく物語である。


 足りないものを補いたい気持ちも、マイノリティであることへの共感も、はっきりとした非日常への興味も、
 それぞれが完全に違う感情で、そしてまたどれもが「個人への好意」から外れているけれど、互いが関係を崩さずに緩やかにそのことに気づけたことによって、ラストの締まりのいい一言に着地できたのだろうな、と思った。


 セクシュアルマイノリティに対して未だ平然と差別的な表現が市民権を平然と取得していく趨勢で、このような作品が支持を受けることについて個人的にかなり不可解な感じを受けたので色々と検索して感想を覗いてみたのだが、


<読者審査員の選評より>
●「ただのラブストーリーではなく、それを越えた3人の家族のような愛情が羨ましくなった。」(京都府・20歳)


●「皆、何かしらの悩みを抱えているけれど、その悩みも含めて自分であり、悩むことは悪いことでもなく恥じるべきことでもないと勇気づけられた。」(神奈川県・20歳)


●「本当に、あのころの私に言いたい。恥ずかしがったりかっこつけたりしないで全部やってしまえよ!!って。」(静岡県・23歳)



 (中略)「恋愛に苦手意識を持っている」「恋愛において受け身」な女性の増加要因は、長引く不況やネットコミュニケーションの発展に関係しているという見方もあるが、彼女たちは、異性との関係においても生々しい感情を伴う恋愛関係ではなく、悩みや苦しみを自然に共有でき、お互いを大切に思える家族のような関係にシンパシーを感じるのかもしれない。


 20代女子の約4割が自らを?草食系?と回答(ダ・ヴィンチ) - エキサイトニュース

 ……とあり、要するにこれまでの時代で地域や家庭が担っていた「壁越しの連帯感」が描かれたのがウケたのかな、という感じがする。
 確かにそれはこの小説の中で、とても自然に形成された心地よい関係性だった。
 しかし、それはどう考えても恋愛ではないし、もっと言うと相互理解ですらない(その対極と言ってもいい)のだが、このように明確に断絶した条件同士、つまりどう頑張っても「過ち」が起こりようがない相手とでなければ「理解」のための一歩を踏み出すことができないような、そんなドライな在り方が評価を呼んだのであれば、それはかなり寂しいことであるなあと思う。


 いやむしろ、そうした断絶が存在することが逆にそうした「安心」を呼び込むきっかけになっているのだとしたら、それを求める人々が呼ぶ“家族のような愛情”は、次の瞬間にも打ち砕かれるような脆いものになってしまうだろう。


 草食肉食以前に、それは愛情ではない。