2011年、というより震災後の総括的ななにか。

震災からこっち、日記を書く気にもならんので長らく放置していた。
というか今更blogにまとめて書きたい何かがないというのもある。
実際それが一番の問題であり、論題でもある。


朝日新聞の成人の日の社説に引用される社会学者の古市憲寿氏の言によれば、

20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。

 将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。


とのことで、まあ確かにその通りだと思った。
段階的に強化された島宇宙は、コミュニティの内部に自治機能をもち、漠とした社会に頼ることなく、自前でほとんどの欲求を満たすことができるようになった。
しかしそれも、生活の基盤が揺るがないことを前提としたものに過ぎない。
細分化したコミュニティは、構成員同士が強く引き合ったからというよりは、他のコミュニティとあまりにも相容れなかったがために形成されたのであって、八百万のクラスタの中に能動的な互助機能を持ったものがどれだけあるかは、実際のところかなり疑わしいもの……


それを明らかにしたのが3.11だった。
文壇に震撼が走ったのと同時に、あらゆるコミュニティがその意味を消失した。
いや、意味など始めからなかったのだろうが、とにもかくにも、暗黙のうちに共有されていたルールを失い、それぞれのコミュニティはそれぞれのファッション性を身につけて、その中身の無さを隠さなければならなくなった。
曰く、こんな時だからこそ我々にできることをしよう、曰く、悲劇に引きずられず楽しむべきは楽しむのが道理だ……
どれだけの人間がそれを自覚しているのかはわからないが、少なくとも、空虚さを自覚してなお現状を維持することにある種の必死さを醸し出すようになった人間は確実に増えた。


こうした状況を導いた、暗黙のうちに共有されていたルール。
それは、思うに「日本は技術立国である」という信仰だったと思う。
その宗教が崩壊した今、我々はついに本当の意味で羅針盤を失ってしまった。
各自が各自の逃げ込めるところに全力で撤退している。


考えてみれば当たり前のことだ。
生きられる者は生きられるし、死ぬ者は死ぬ。
言葉にしてみれば当たり前に過ぎることなのに、どうしてこうも耐え難いのだろう?
きっと、平和とはさまざまな「意味」を飽和させた状態のことで、平和に慣れきった我々は、とっくに意味無しでは生きていけなくなっていたのだ。
そして、きっと日本の技術が、それに支えられた社会が意味を与えてくれると信じていた。
日々自分に補充する意味がたとえ借り物だと気付いていたとしても、いざとなれば「日本」というアイコンに逃げ込んで群れることで、虚無感を忘れることができた。


どれももうどこにもない。
だから皆が皆、余韻を大切にする。
大船が沈みゆく中、救命ボートにしがみつくように。
もちろんその中にも、沈むものもあれば沈まないものもある。
あの日から頻繁に、無駄に捧げられるようになった「祈り」とは、
せめて自分の乗るボートが沈みませんように、という祈りなのだろう。


俺は、ことここに至って文学や宗教、音楽といった文化の役目は、
あの震災に何らかの意味をつけ、歴史に回収することにあると考え続けてきた。
だが、それはどうも間違っているらしい。
そもそも、生きていることそのものに意味がないと考える前提の認識の時点で間違っていた。
意味でデコレートすることに慣れてしまったがために、「ただ生きていること」ということの価値を、
スローライフ」のようなファッション性のあるライフスタイルの一つとして、相対的に見ることしかできなくなっていたのだ。


「ただ生きていること」そのものの価値について、我々はあまりにも冷笑的になりすぎてきた。
社会的に承認を得られる生にしか、我々は興味を持てなくなってしまっていた。
その結果、生きることの価値の絶対性というものを知らずに成長してしまった。
これから何かやるのだとすれば、それを知らなくてはならない。
それも相対性の波を乗り越えてたどり着かなくてはいけない。
なぜならば、ただ真理を明らかにしたところで、それはいとも簡単に「スローライフ」の中に回収されてしまうからだ。
我々はあくまで、これまで蓄積した相対的な情報と価値観を駆使して、
我々がただ存在していることについて絶対的な価値を証明しなければならない。
日々をごまかして生き延びることができないほど追い詰められた者ならば、尚更そうだ。
ごまかして生きる者の全てをなんとなく生かしてくれる社会とパラダイムはもう死んだのだから。